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事例

鬼慶良間(うにぎらま)と阿波連弁慶(あはれんびんちー)

鬼慶良間(うにぎらま)と阿波連弁慶(あはれんびんちー)

 この話はもう大変昔のことです。この人は、村の出身じゃないんですが、この村に住みついて、非常に力持ちだったから鬼慶良間と言われたそうです。
この鬼慶良間は、渡嘉敷の村民に対しては非常にやさしくて、村のために非常に良くしてくれた人でした。☆島の飢饉のとき、この人は、村の人が痩せてどんどん餓死していくのを見て、「この調子でいくと村の人は一人も残らなくなっちまうんじゃないか。」と言うことで餓死者を出さないために、今の青年の家のある所の一帯全部に蘇鉄を植えさせたというのです。そして、「飢饉でない間は毎年その実を取って分けて食べなさい。そして、もし飢饉になったら、蘇鉄の幹と根を取ってみんなで分けて食べなさい。だけど、そんなときでも幼木を取ったり、全部一度に取ったりしたらいかんよ。」と言って、教えたそうです。

 また、阿波連にも鬼慶良間と同じくらい力持ちの阿波連弁慶という人がいて、互いに勢力争いをしていたんです。
それで、渡嘉敷にいる鬼慶良間という方は、ちょうどいまの阿波連に行く途中の田んぼのところに、渡ればいつも着物を濡らしてしまう川(※1)があったから、そこに木を切って橋(※2)を架けてやったんです。そしたら、この阿波連弁慶が来て踏み折ったりしたんだそうです。この鬼慶良間という人は阿波連弁慶に負けてはいけないということで、今度は、石を持ってきた。ひとつは肩に担いで、ひとつは脇にはさんで二つ持ってきてですね、木の橋をはずしてその石で橋を架けたから、この阿波連弁慶が来て踏み折ろうとしても折れなかったそうですよ。それで、阿波連弁慶が折ろうとしても折れないから、「お前には負けた。」と言ったというんですよ。

この鬼慶良間が持って来たという石は現在、村の中央公民館のところに持ってきて置いてあるんです。だが、阿波連弁慶は、これで負けていられないから、「ひとつ相撲をとってみよう。」ということになったそうですよ。どこで相撲をとることになったかというと、今、国立青年の家の海洋研修所のあるところに、ヒランシー(※3)という海岸があるんですが、阿波連弁慶という人は、そこに立って竹をしごいて帯にして、また渡嘉敷の鬼慶良間という方はですね、何もつけない。それで、阿波連弁慶が、「なぜ何も帯にしないのか。」って言うと、「この勝負はやってみたら分かるよ。」ということで、このひとたち二人はこうして見合っていたということです。鬼慶良間は頭がいいわけです。そういうことで、その岩の上には、ちょうど人間が立っていたみたいにして、ひっこんだ所が二つあって、「これは、鬼慶良間トートーメー(※4)が相撲をとったときの足跡らしいよ。」といったんですが、この岩は取られて今はなくなっています。

この人には子供がいなかったわけですよ。それで、鬼慶良間は自分が住んでいた家(※5)の門中の人を集めて、「墓を造ってあげよう。」ということで、墓を造り始めたんですよ。今でもその墓はあるんですけれども、普通 の墓は丸いでしょう。この墓は普通の墓とは違って、上が屋根の形をした破風型になっているんですよ。そして、普通 の墓はひと組なんですけれども、この墓は、入口も中もふた組になっていて、中でお膳のやり取りができるようになっているんで。このときに、鬼慶良間は大きくて長い石を八つ持ってきたそうです。そして、この人は、その八つのうち、最後の石を持ってくる途中で亡くなったそうですよ。だからこの鬼慶良間は、死ぬ 直前に「私はもうこの病から逃れることができない。私が死んだら、あんた方でこの墓石を上げてください。もしこの墓をあげきれないときには、鬼慶良間ヒヤーヌエイ(※6)と掛け声をかければ上がるはずだよ。」と言って亡くなったそうです。だから、この石を上げるときには、村の男たちが鬼慶良間とヒヤーヌエイと掛け声えおして上げたら、きれいに石は上がっておさまったと。しかし、鬼慶良間が元気なときには、「この墓を造っても私はこっちに入れないでいいよ。別のところに入れてくれ。」と言っていたらしい。

なぜ鬼慶良間は自分で建てた墓に入らないかというと、この人はよそから来た人だから、一度は自分の故郷に帰らなければならないと思っていたからでしょう。それでも今は、この人をこのターチ墓のすぐ横に墓を造り、鬼慶良間の遺骨は に入れられて置かれています。そして、そのお墓の前にお宮を建てて祀り、渡嘉敷の世主加那志(※7)(ゆーぬしがなし)と敬って、この辺一帯の家族はみんな拝みますよ。

字渡嘉敷・小嶺盛仁(大正12年2月18日生)昭和54年8月26日聴取
※1.川
字渡嘉敷に仕事帰りに手足を洗えるウフナー沼(ぐむい)という沼があり、そこから流れる小川のこと。
※2.橋
ウフナー沼から流れる小川にかけられた橋からウフナー橋という。この橋のために鬼慶良間が運んで来た石は現在でも中央公民館の裏手に置かれている。
※3.ヒランシー
国立青年の家海洋研修所(在渡嘉志久)の近くにある、岩がごろごろした海岸の名。
※4.鬼慶良間トートーメー
一般には位牌のことを言うが、ここでは、ご先祖様ぐらいの意。
※5.住んでいた家
屋号米女殿内一門のこと。
※6.ヒヤーヌエイ
かけ声。よいしょの意。
※7.世主加那志
白瀬山の に、初代頭代の大国主加那志の殿に隣接して字渡嘉敷251番地に祀られている。

解説

 渡嘉敷村の三つの字に94の拝所がある。この話は、字渡嘉敷の人々が先祖を祀る1月16日と5月、6月、8月のウマチーと呼ばれる祭りのときに拝んでいる世主加那志と呼ばれる拝所の由来である。なお、昭和20年3月の沖縄戦での「集団自決」の後、生き残った人たちは、この鬼慶良間の植えた蘇鉄で命を永られたともいう。また、阿波連の東川上御 に祀られている祖先も村の人のために蘇鉄を植えたという伝説がある。

出典:「とかしきの民話」/発行:国立沖縄青年の家

 
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