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事例

兼元船頭の人命救助

兼元船頭の人命救助

 この兼元船頭(※1)というのは、昔、王朝時代に首里王府が中国に貢ぎ物をしていたころの話なんですがね、この船長は琉球王府配下の船長の中でも特に優れた船長で当時非常に有名だったらしい。

 ある年、暴風のときに那覇港沖合いの外干瀬(※2)(ふかびし)に、避難船が座礁 したので、「誰か乗組員たちを救うことはできないか。」ということになり、兼元船頭に命令がくだったそうです。この船長は自分の船を出して人命救助に向かったが、暴風というのは返し風があるのでしょう。そのことが頭にあったもんだから、「それじゃあ、返し風がきたら危ない。今のうちじゃないと間に合わない。」と言って、すぐに嵐の海に船を出して、その難破船にじぶんのふねをくっつけ、その船の人を乗せると、もう凄い返し風で吹いているから、まっすぐ西へ向けて走ったんだ。やがて兼元船頭の船は、返し風がおさまってから、方向を変えて無事に那覇港に戻ったということです。それで兼元船頭は、この手柄で平民ですが、士族階級なみの待遇を受けたという伝えがあるんです。

字渡嘉敷 島村幸雄(明治39年7月16日生)昭和54年8月26日聴取
※1.兼元船頭
屋号兼元の先祖だが、姓名については不詳。
※2. 外干瀬
那覇港沖にある珊瑚礁のこと。

解説

 那覇港の西約11キロ付近から連なる神山島、ナガンヌ島、クエフ島とチ-ビシと言われる小島は、慶良間諸島の最も東の前慶良間と呼ばれた渡嘉敷村に属する島で、そこから、後慶良間と呼ばれた座間味村の久場島と屋嘉比までは約33キロある。あるとき、少し波が荒い季節に、久米島から出発した船が、特に波が荒い久場島の北を通 るとき、身分の高い人が気分が悪くなって、船医に、「ここはどこか。」と聞くと、「慶良間です。」と答えた。それからしばらく横になって眠って、また、「ここはどこか。」と聞くと、「慶良間です。」と答え、また横になってしばらく眠って、「ここはどこか。」と聞くと、また「慶良間です。」と答えたので、「何でどこも慶良間なんだ。」とけらまの広さに呆れたと言い、このことから、慶良間諸島のことを「インケラマ[どこまでも慶良間]」と言うようになったという伝えがある。

 約33キロの間に大小20余りの島がある慶良間諸島は、広いだけではなく、浅い岩礁 が多く危険な海でもあり、遭難した船に関する伝説も多い。しかし、この那覇から久米島に至る航路は、琉球王国の船はもちろん、大和からきた船も、中国や東アジアに向かう場合は、久米島から宮古諸島に向かい宮古島から八重山諸島を経由して中国の福健省や東南アジアの島々を目指したので、海外交易にとって最も重要な航路であった。
その慶良間と那覇の間の海を自分の庭のように、自由に航海したのは渡嘉敷の男達であった。
兼元船頭のこの伝説も、そうした慶良間の海の男達の活躍を物語る話の一つである。

出典:「とかしきの民話」/発行:国立沖縄青年の家

 
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