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事例

儀志布島で死んだ按司

儀志布島で死んだ按司

 儀志布島のウチシルというところにはちょっとした洞穴があり、昭和十四、五年くらいまでは、たくさんの遺骨があって、そこには、ヤフンチャーギという木で造られた屋形があったんですよ。
この屋形の木は、今でも少しは残っているようです。そういう遺骨はウチシルという所ではなく、カミグーや、アカヤーというところにもあって、どちらもちょっとした岩かげに祀られているわけです。

このうち、ウチシルに伝わっている話を聞きますと、そこに祀られている方は、どこかの王様か按司で、戦から避難するために渡嘉敷に来ておられたというんです。そこへ、ちょうど味方が戦に勝って、大きな船で迎えに来たんですが、赤い旗を上げて勝ったことを知らせるつもりであったが、まちがって負けたときの合図をあげてしまったものだから、それを見た按司の家来は、「もう戦は負けたんだから、自分たちが生きていると、どんな目にあうか分からない。」と自害したので、そのときちょうど儀志布島へ来ていた中丹慶良間という人に、「お礼に黄金の太刀をあげるから、ぜひ私たちを殺してくれ。」と言ってお願いしたそうだ。すると中丹慶良間は、「私にはそういうことはできない。」と断ったが、「いや、私たちはぜひ死なねばならないし、私を殺してもあんたには何のさしさわりも起こさない。ただ、突き落としてくれるだけでいいから、ぜひ殺してくれ。」と頼まれたそうです。按司が自分の妻と子供を高い崖の上から落とし、その後で中丹慶良間が按司を後ろから押して崖から落としたので、この人たちは、そこで一生を終えたと。

それから渡嘉敷の人は、「卯の日と辰の日は、岩屋に祀られている人たちが出てきて遊ぶ日だから、向こうに行くなよ。」と言って、その日を嫌っていたんです。だから、卯の日と辰の日には、儀志布島の近くには、行かなかったんです。その後、按司の家来たちは、せっかく戦に勝って迎えに来たのに、もう自分達の按司がしんでいたから、もうすごく残念がったのでしょうね。それで、「按司は、渡嘉敷の人たちに殺されたんじゃないか。」ということで、この渡嘉敷島まで調べに来ていたらしい。今の国立青年の家のある所から儀志布島へ行く道があって、そこで渡嘉敷島の人たちが休んでいると、そこえ調べに来た人たちが大勢鎧兜で来たもんだから、渡嘉敷の人たちは、もう怖がって、みんな隠れて寝たふりをしていたと。そのときに、調べにやって来た連中の中の一人が、その人たちを見つけて、「今のうちに斬ろうか。」と言うと、もう一人が、「いや帰り路に斬ろう。」と言ったと。それを聞いていたので、みんなびっくりして逃げたということです。ここで死んだ按司を儀志布島のウチシルの岩屋に祀ったのは、このときやって来た家来たちではないかと伝えています。

字渡嘉敷 小嶺盛仁(大正12年2月18日生)昭和54年8月26日聴取
※1.ウチシル
ウチシルとアカヤーは儀志布島、カミグーは渡嘉敷島の儀志布島よりある地名。
※2.ヤフンチャーギ
ヤフンチャーギは沖縄の建材として最上で犬槙のことで、犬槙の中でも最上の用材のことを言う。
※3.王様か按司
琉球王国の王は神話的なアマミキヨ王朝に始まり、源為朝の子と伝える舜天王(1178年即位?)の系統が三代、英祖王(1260年即位)の系統が三代続いたと伝え、そのころの王城は浦添にあった。
その後、察度王(1350年即位)の系統が二代続き、この時代に王城は首里に移されて、中国との交易で始まった。次に父が伊平屋出身者である第一尚氏の尚思紹王(1406年即位)の系統が七年続き、伊是名出身者の尚円王(1470年即位)の系統が第二尚氏として一九代続いている。ただし、英祖王系の時代から第一尚氏第二第目の王、尚巴志王(1422年即位)までの時期は、今帰仁按司が支配する北山と、英祖王、察度王と引き継がれた中山、大里按司が支配する南山に分かれ、それぞれ王を称していた。按司は、各地の支配者を言うが、第二尚氏代三代目の尚真王の時代からは首に居住するようになって士族最上位の階位名となった。

解説

 沖縄では、第二尚氏の第三代目の王である尚真王(1477年即位)が沖縄全土を支配するようになるまで、各地を支配している按司たちの間で度々戦いがあった。そのために、各地に戦い破れた按司たちの落人伝説が多く、渡嘉敷でも阿波連の「ウフシル」と呼ばれる古墓や前島の「中島按司が世」「大墓」などは、いずれも落人按司の墓と思われる伝えがある。
 なお、こうした戦乱の世を渡嘉敷の人たちは、「戦世」と言い、その時代の渡嘉敷島の人々は、戦乱を避けるために、すべて山の上に村を作って住んでいたと言い、それらの集落跡は、御 (本土の神社に当たる。)として祀られている。その伝え通 り、古い集落の跡である「しらせ」「さかめ」「仲」「前」などの聖地は、いずれも字渡嘉敷周辺の山頂にあり、字渡嘉敷のどの門中も、旧暦12月1日には、「御登り」と言って、七才以上の人全員でこれらの御 に登って先祖への祈願を行った。

出典:「とかしきの民話」/発行:国立沖縄青年の家

 
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