クミチジ山 (久米頂山)
渡嘉敷の聖地・始祖の丘
渡嘉敷集落の西のはずれにある標高37メートルの丘である。この丘は、南北220メートル、東西130メートルのほぼ三角形をしており、字渡嘉敷の集落は、このクミチジ山を起点として東の方向に港まで続いています。渡嘉敷港から見れば、集落の最も奥にある丘です。このクミチジ山の西側の山すそを北山から流れてきた恩納川原が北から南に流れています。この恩納川原は、クミチジ山の南でチトノコ原から流れてきた川と合流して渡嘉敷川となっています。この二つの川の流域がクミチジ山の北西から南西にかけて広がる豊かな水田地帯を形成します。 クミチジ山の頂上の平坦地には、神女が神遊びをするアシビナーがあります。このアシビナーを起点としてクミチジ山のふもとの拝所の配置を見ると、真北の久米元の殿、真南にスンドンチナー(首里殿内ナー)、真東にカナヒヤグの殿と長丈の殿、北東に渡嘉敷神社(旧殿内小ー歴代の祝女をまつる)があります。したがって、このクミチジ山の周辺は字渡嘉敷にとって最も古くからある拝所が集中しています。また、祝女を出した家や獄登りを主催する家の多くも、このクミチジ山の近くにあります。 クミチジ山は、字の人達から神聖な地とされ、神女以外はこの丘に登れませんでした。字渡嘉敷の最大の行事である種取りの行事では、この丘に祝女を始めとする神女たちが真北にある久米元の殿と真南にあるスンドンチナー(首里殿内ナー)の両方から登り、丘の頂上にあるアシビナーで最も秘儀的な神遊びを行ったといわれています。この丘は、始祖たちの記念すべき丘であり、そのために、種取り行事の最も重要な場面 になったのです。 北御獄の項でも話したように、字渡嘉敷の祖先が北御獄、城島、里に住んでいたとき、その三方から集まって相談した場所がこのクミチジ山だったのです。海が後退し、この丘が陸地になったこともあって、字渡嘉敷の祖先が最初に平地に住み始めたのも、このクミチジ山の地であったといわれています。