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議会組織図・議会議員名簿・歴代村議会議長名簿

渡嘉敷村議会(議員定数6名)


 

議会の沿革

1899(明治32)年
「間切島会に関する規定」が公布され、渡嘉敷間切は8名の議員が選出できることとなりましたが、納付する税金の額によって一等から三等に区分けされ、各等から選出される議員は、議員定数の三分の一づつで、選挙人(有権者)の数は納税額の大きい者ほど少なくなり、納税額の小さい者は有権者が多くなり、結果 として議員一人あたり5、6名の者を代表する者(多額納税者)と、数十、数百名を代表する(小額納税者、均等割り)者が出てくるという変則的な選出方法でした。このころ代議士や県会議員の選挙などでも、こうした選出方法がとられました。
1920(大正9)年
4月1日以降は税金額による議員選出の方法は廃止されましたが、議事運営については市町村長が、議案提案者であり、議事進行の議長であることに変わりはありませんでした。ただ、市町村長が郡長や県知事の任命制から、議員による選出となり幾分地域住民の意思が反映されるようになりました。
1945(昭和20)年
第二次大戦後米軍に占領された慶良間諸島の村々と渡嘉敷村は、米軍政下におかれた初めての日本の自治体として、慶良間列島市を形成し、米軍任命の市長と列島議員を選出しました。
1948(昭和23)年
2月8日に村会議員の選挙が行われ12名が当選していますが、このころはまだ村長が議事を進行していたものと思われます。沖縄での最高の議決機関である立法院が、1950年代初期まで行政執行者が、議決機関の長を務め議事運営にあたっており、司法は別として、立法・行政の分立が確立したのは1950年代も中期を過ぎた頃からと思われ、村でもそれ以降に、現在のような執行機関から独立した議長制度がとられるようになったと思われます。昭和47年の本土復帰後、議員定数は10名となっておりましたが、地方分権の推進等、歳出構造の抜本的な見直し、各種定員の年次的な削減や構造改革を含めた規模の抑制等を考慮して、平成14年の一般選挙より議員定数は8名、平成18年の一般選挙では7名となり、令和4年の一般選挙からは6名となりました。

 

村議会議員任期一覧表(令和4年9月28日現在)

議長 當山 清彦 令和4.9.28~令和8.9.27 H22.9.28~
4期目
副議長 新垣 一史 H30.9.28~
2期目
村議会議員 與那嶺 雅晴 H6.9.28~
8期目
玉城 保弘 H18.9.28~    5期目
座間味 満 H30.9.28~
2期目
金城 渉 R4.9.28~
1期目

 

歴代村議会議長(令和4年9月28日現在)

在任期間 氏名
明治32年12月~明治41年 松本 権励
明治41年10月~大正13年 仲村渠 光徳
大正13年8月~昭和7年 徳平 秀郎
昭和7年8月~昭和11年 小嶺 信雄
昭和11年11月~昭和14年 仲村渠 光徳
昭和15年1月~昭和18年 真喜屋 実意
昭和19年1月~昭和20年 古波蔵 惟好
昭和23年3月1日~昭和33年9月27日 宮平 栄一
昭和33年9月28日~昭和45年9月27日 田村 正功
昭和45年9月28日~昭和47年9月27日 島村 幸雄
昭和47年9月28日~昭和49年9月27日 与那嶺 勲
昭和49年9月28日~昭和57年9月27日 徳平 秀雄
昭和57年9月28日~昭和61年9月27日 宮平 栄治
昭和61年9月28日~平成2年9月27日 知念 竹治
平成2年9月28日~平成6年9月27日 當山 清林
平成6年9月28日~平成14年9月27日 小嶺 源市
平成14年9月28日~平成18年9月27日 小嶺 隆良
平成18年9月28日~平成22年9月27日 島村 武
平成22年9月28日~平成26年9月27日 小嶺 源市
平成26年9月28日〜令和4年9月27日 玉城 保弘
令和4年9月28日~ 當山 清彦

 

 
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